日本三大御柱とは、「出雲大社の大黒柱」「伊勢神宮の心の御柱」「諏訪大社の御柱」と言われています。
古来より日本では、岩や木、海などに神様が宿ると信じられてきました。最初は、その岩や木がある場所を信仰の対象としていたのですが、次第に神社が建てられ、神社の境内で祭事が行われるようになってきました。そこで、神社に神様を呼び込むための一時的な依り代、「神籬(ひもろぎ)」として、柱が使われるようになりました。これを御柱(おんばしら、みはしら)と言います。
ここでは、日本三大御柱として、出雲大社、伊勢神宮、諏訪大社の3つをご紹介いたします。
日本三大御柱 出雲大社の大黒柱
出雲大社とは
出雲大社(いずもたいしゃ、いずもおおやしろ)は、島根県出雲市にある神社です。縁結びの神様として知られています。「古事記」に創建の由来が記されているほど、古い神社です。「因幡の白うさぎ」にも縁があります。
出雲大社のお参りは「二礼四拍手一礼」とされています。二回拝礼をして、四回柏手を打ち、最後にもう一度拝礼です。
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大黒柱とは
「一家を支える大黒柱」という比喩がありますが、もともとは建物を中央で支える、特に太い柱のことを「大黒柱」と言いました。
なぜ大黒柱と言うかについては、諸説あります。
その一つが、出雲大社の御柱から来ているという説です。出雲大社の祭神は、「大国主大神(おおくにぬしのかみ)」とされています。これがヒンドゥー教のシヴァである「大黒天」と混同され、「だいこくさま」の呼び名で親しまれるようになりました。そこから「だいこくさまが宿る柱」、「大黒柱」と変化したという説です。
他には、陰陽道の「太極」という説や、出雲大社は関係がなく七福神で富を司るという意味で大黒天から来ている、という説などがあります。
出雲大社の大黒柱とは
では、出雲大社にある大黒柱とはどれか、ということについては、実はよく分かっていません。普通に考えれば、2つの可能性があります。
1つは、今現在の御本殿にある中央の柱「心御柱(しんのみはしら)」です。
もう1つは、発掘調査で地中から発見された「心御柱」です。
出雲大社は高層神殿だった?
現在の出雲大社の高さは24mです。1744年に造営されたと言われています。
ところが、かつては48mもあったという言い伝えがあります。48mというと、17階建てのビルに相当します。
それを裏付ける発見が、2000年から2001年の発掘調査で見つかりました。境内の3箇所から、3本1組となった杉の大木が発見されたのです。3本を合わせて1つの柱としていたと考えられ、その直径は3mにもなります。出雲大社には設計図とされる「金輪御造営差図」が伝わっており、まさにその図の通りだったのです。
出雲大社の「御本殿」は、「大社造」という日本最古の神社建築様式で建てられています。間取りは正方形で、田の字の位置に九本の柱が立っています。中心の柱を「心御柱(しんのみはしら)」と言います。その前後の柱を「宇豆柱(うずばしら)」、横の6本を「側柱(わきばしら)」と言います。
発掘調査で見つかったのは、「心御柱」と、正面の「宇豆柱」、右手前の「側柱」の3箇所です。この柱は、科学的調査や歴史資料から、1248年に造営されたものと考えられています。現在は、境内の出土地点に、印が付けられています。また、出土遺物は国の重要文化財に指定されています。
日本三大御柱 伊勢神宮の心の御柱
伊勢神宮とは
伊勢神宮(いせじんぐう)は、三重県伊勢市にある神社です。正式名称はただの「神宮」で、他の神宮と区別するために「伊勢神宮」と呼ばれています。「おいせさん」の呼び名でも親しまれています。古来より最高位の神社とされ、現在でも神社本庁の本宗となっています。
「内宮」「外宮」を中心に、全部で125社から成る巨大な神社群です。参拝する際は、外宮、内宮の順に回るのが良いとされています。
20年に一度、社殿を建て替える「式年遷宮(しきねんせんぐう)」が行われることでも知られています。
江戸時代には、庶民の間で伊勢神宮に参拝することが一大ブームとなりました。特に60年周期での大流行は「お蔭参り」と呼ばれました。多い時で年間500万人近い人が参詣し、これは現在のディズニーランドに匹敵するほどです。
内宮と外宮
伊勢神宮には、皇大神宮・内宮(ないくう)と豊受大神宮・外宮(げくう)の2つの正宮があり、それぞれ主祭神が異なります。皇大神宮の主祭神は「天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)」、豊受大神宮の主祭神は「豊受大御神(とようけのおおみかみ)」です。
伊勢神宮の建築は、仏教建築の影響を受けず、他では見られない様式のため「唯一神明造り」と呼ばれています。古代の高床式穀倉が宮殿形式に発展したものと考えられています。様式はシンプルで素朴なものですが、使われている素材は貴重なものばかりです。
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皇大神宮(内宮)
豊受大神宮(外宮)
謎に包まれた伊勢神宮の心の御柱
「心の御柱(しんのみはしら)」とは、一般的には、神社の正殿の中央に建てられる柱のことです。「心御柱」とも書きますが、伊勢神宮の場合は平仮名の「の」を入れて「心の御柱」とすることが多いようです。
本来であれば建物を支える一番重要な柱ですが、伊勢神宮においては、正殿の床下に埋められており、支柱としての意味はなしておりません。祭祀上重要な意味を持っていると考えられますが、一般には公開されておらず、詳細は不明となっております。「忌柱(いむはしら)」とも呼ばれ、口に出すだけで恐れ多いとされています。
20年に一度の「式年遷宮」では、「心の御柱」から用材を伐採する「木本祭(このもとさい)」が行われますが、これも秘義中の秘義として、極一部の神職のみで真夜中に執行されます。
一説によると、「心の御柱」は黄・白・赤・黒・青の五色の布に巻かれており、五行説の思想が取り入れられているとされています。
日本三大御柱 諏訪大社の御柱
諏訪大社とは
諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県の諏訪湖周辺にある4つの神社の総称です。全国に約25,000ある諏訪神社の総本社です。日本最古の神社のひとつと考えられています。
諏訪湖の南側にある2つを「上社(かみしゃ)」、北側の2つを「下社(しもしゃ)」と言います。上社は「本宮(ほんみや)」「前宮(まえみや)」、下社は「秋宮(あきみや)」「春宮(はるみや)」です。
諏訪大社には本殿と呼ばれる建物がなく、木や山を御神体としています。これは古代の神社の形であると言われています。
諏訪大社の主祭神
上社本宮 | 建御名方神(たけみなかたのかみ) |
上社前宮 | 八坂刀売神(やさかとめのかみ) |
下社秋宮 | 八坂刀売神(やさかとめのかみ) |
下社春宮 | 八坂刀売神(やさかとめのかみ) |
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上社本宮
上社前宮
下社秋宮
下社春宮
御柱とは
御柱(おんばしら、みはしら)とは、諏訪大社の4つの社殿の四隅に建てられた、計16本の柱のことです。建物の支柱ではなく、ただ横に建てられています。
社殿の右手前から時計回りに「一之御柱」「二之御柱」「三之御柱」「四之御柱」と呼ばれ、順に細く短くなっています。
柱は樹齢200年の樅(もみ)の木でできています。この柱の用途は、現在では不明となっており、神様の依り代、結界、予備の用材、などの説があります。
御柱祭とは
御柱祭とは、正式名称を「式年造営御柱大祭」といい、宝殿の造り替えと、社殿の四隅の御柱を建て直す神事です。7年ごとの「寅年」と「申年」に行われるとされていますが、数え年で7年目とういことで、正確には6年に1度です。諏訪大社最大の神事とされ、1200年以上の歴史があります。
山から樅の巨木を切り出し、人力で運びます。特に巨木と共に坂を下る「木落し」は壮観で、多くの見物客が訪れます。日本三大奇祭のひとつともされています。
上社の山出し
4月に、約12kmを3日間かけて8本の御柱を運びます。
まずは「八ヶ岳の麓」から、最初の難関の「穴山の大曲」です。民家の間の細い道を、慎重に通過します。
そして「木落し」。氏子を乗せた御柱が27度の急斜面を下ります。一番のハイライトです。
最後は宮川を渡る「川越し」です。御柱を雪解け水で洗い清めるという意味もあります。
上社の里曳き
山出し後、1ヶ月保存していた8本の御柱を、「前宮」と「本宮」まで運びます。
まずはスタートの「お舟」。宮司や御輿の行列です。
最後は、人力で御柱を垂直に立てる「建御柱」です。
下社の山出し
約4.7kmを3日間かけて8本の御柱を運びます。
「棚木場」から「斧立社」を経て、難関「萩倉の大曲」です。民家の間の細いカーブを、少しずつ曲がっていきます。
そして最大の見せ場である「木落し」では、最大傾斜30度の斜面を、100mにわたり下ります。
下社の里曳き
「春宮」と「秋宮」まで御柱を運びます。
見どころは「春宮木落し」。山出しほど派手ではありませんが、それだけに個性豊かな演出が見られます。
また道中は「長持行列」が祭りを盛り上げます。
まとめ 日本三大御柱について
日本三大御柱とは「出雲大社の大黒柱」「伊勢神宮の心の御柱」「諏訪大社の御柱」のことです。
「出雲大社の大黒柱」は、今現在の本殿の中央にある柱か、地中から発掘された柱のことと考えられます。
「伊勢神宮の心の御柱」は、正殿の地下に埋められている柱ですが、詳細は秘義とされ、公開されておりません。
「諏訪大社の御柱」は、4つの社殿の四隅に建てられた16本の柱のことです。
以上、お役に立ちましたら幸いです。