日本三大料理と言えば何でしょうか。特に定説はありませんが、日本を代表する料理として「寿司」と「天ぷら」は入ることが多いようです。3番目に何を持って来るかはいろいろな考え方があり、江戸の伝統料理として「そば」、家庭料理として「すき焼き」、外国人にも人気の「ラーメン」あたりが入ることが多いようです。
ここでは、三大料理としてはいますが、「寿司」「天ぷら」「そば」「すき焼き」「ラーメン」の5つについてご紹介します。
日本三大料理 寿司
寿司とは
「寿司」とは何かについて、簡単にご説明します。基本的には「酢飯(シャリ)」と「魚介類(ネタ)」を組み合わせた和食のことを寿司といいます。しかし必ずしも酢飯とは限らず、ネタも卵や肉など魚介類以外が使われることもあります。
提供の仕方によって、以下のような種類があります。
- 握り寿司
- 巻き寿司
- 棒寿司
- 軍艦巻き
- ちらし寿司
- 押し寿司
- いなり寿司
また一般的に「寿司」と書かれることが多いですが、「すし」「鮨」「鮓」とも表記します。
寿司の歴史
奈良時代(710年~)
寿司の起源は、奈良時代に東南アジアから伝わった「熟鮓(なれずし)」と言われています。これは魚のまわりに米をつけて発酵させた保存食品で、いわば魚の漬物です。米はどろどろになってしまい、食べることはありませんでした。
室町時代(1336年~)
室町時代になると、発酵させる期間を短くし、米も食べるようになりました。これは「なまなれ」と呼ばれます。
またこの時期に、重しで漬け込む「押し寿司」の原型ができたようです。
江戸時代(1603年~)
江戸時代には、流通が劇的に発達し、米酢が出回るようになりました。これにより発酵させる必要のない「シャリ」が誕生し、庶民の間でお手軽料理「早寿司」として流行しました。江戸時代後期には、屋台ですぐに食べられるファストフードとして、今の形に近い「握り寿司」が生まれました。
一方上流階級では、「なれずし」が食べられていたようです。
明治時代(1868年~)
明治時代に登場したのは、「氷」です。これにより生の魚を保存することができるようになり、「刺し身」をネタにする、今のスタイルが生まれました。
大正時代(1912年~)
大正時代に登場したのは、「冷蔵庫」です。
また1923年(大正12年)の関東大震災により、多くの職人が東京(江戸)から地方に移り、全国に寿司が広まっていきました。
日本三大料理 天ぷら
天ぷらとは
天ぷらとは、野菜や魚介類を、水で溶いた小麦粉につけ、油で上げた料理です。日本を代表する料理として知られています。
「てんぷら」「天麩羅」「天婦羅」などとも表記します。
天ぷらの歴史
奈良時代(710年~)
奈良時代には、中国(唐)から、小麦粉を水で練って揚げた「唐菓子」が伝わったとされています。
しかし当時は、油がとても貴重だったために、広まらなかったようです。
室町時代(1336年~)
室町時代には、ポルトガルの宣教師から、食材を小麦粉の衣で揚げる料理が伝わりました。いわゆる「南蛮料理」の一つです。
カトリックでは、四季に行なう斎日を「temporas(テンポーラ)」と言い、この期間は肉食が禁じられることから、魚や野菜を衣で揚げた料理が食べられていました。精進料理のようなものです。
「天ぷら」の語源については諸説ありますが、「テンポーラ」はその一つと考えられています。その他「tempero(調理)」「templo(精進料理)」などもありますが、はっきりしたことは分かりません。ただ、ポルトガル語由来とする説が多くあります。
安土桃山時代(1568年~)
安土桃山時代には、同じくポルトガル人から長崎に、小麦粉に砂糖や塩・卵・酒などを混ぜた衣で、肉や魚を揚げる料理が伝わります。これは前述の精進料理とは区別する形で「長崎天ぷら」と呼ばれ、現在の天ぷらの原型とされています。
しかしこの時代もまだ油は貴重だったために、庶民まで広がることはありませんでした。
江戸時代(1603年~)
江戸時代になると、油が庶民に広まり、屋台のファストフードとして人気となりました。
全国に普及したのは、寿司と同じで、関東大震災の影響が大きいようです。
日本三大料理 そば
そばとは
蕎麦とは、「ソバの実」を原料とした「蕎麦粉」を使ってできた麺料理です。
「蕎麦粉」を使った料理は麺に限りませんが、通常「蕎麦」と言うと、蕎麦粉を水でこねて伸ばし、細く切った「そば切り」を指します。また、「蕎麦粉」と「小麦粉」は混ぜて使われることが多いですが、蕎麦粉30%以上のものが「日本そば」と呼ばれます。
そばの歴史
縄文時代(紀元前10,000年~)
植物の「ソバ」との関わりは古く、9,000年以上前の高知県の遺跡から、ソバの花粉が見つかっており、当時から栽培されていたと推測されます。
奈良時代(710年~)
「そば」が初めて文献に登場するのは797年の「続日本紀(しょくにほんぎ)」です。722年に「干ばつに備え、ソバ、大麦、小麦を植えて対策するように」という指示が出されたと記録されています。
平安時代(794年~)
平安時代の歌人が「食物と思えないような料理を振る舞われた」という歌を残しており、「そば」とは非常食であり、積極的に食べるものではなかったと考えられます。
当時は、粥や、練った粉を焼いて食べていたようです。
江戸時代(1603年~)
「そば切り」が普及したのは江戸時代と言われています。つなぎとして小麦を使う製法が伝わり、細く切ることができるようになりました。ただすぐに千切れてしまうので、最初は茹で料理ではなく、蒸し料理でした。蒸した容器のまま提供しており、「盛りそば」の原型と考えられています。
茹でる料理法が普及したのは、江戸後期と言われています。
「そばかす」って「蕎麦カス」なの?
ソバの実を取った後の殻のことを「蕎麦殻(そばがら)」と言います。主に枕として使用されています。
顔にできる黒いシミの「そばかす」は「蕎麦殻」に似ていることからそう呼ばれるようになりました。雀の卵の模様にも似ていることから「雀卵斑(じゃくらんはん)」とも呼ばれます。「そばかす」は江戸時代にできた言葉のようです。江戸時代以前は何と呼ばれていたかは不明ですが、美白へのあこがれは平安時代からあったようです。
日本三大料理 すき焼き
すき焼きとは
すき焼きとは、肉や野菜を、醤油やみりんなどの調味料で煮込んだ料理です。地方によって調理方法が異なり、大きく分けて関東風、関西風があります。
関東風のすき焼きは、醤油・みりん・酒・砂糖・出汁などで作った「割下」を鍋に注ぎ、肉・野菜・豆腐などを煮込み、溶き卵をつけて食べる料理です。
関西風のすき焼きは、煮るのではなく、焼く料理です。割下も使用しません。鍋で肉を焼いた後、火が通ったら醤油や砂糖などで味付けをします。その上から野菜を入れ、野菜の水分によって調理します。溶き卵をつけて食べるのは同じです。
すき焼きの歴史
江戸時代(1603年~)
日本は仏教の影響で、ながらく肉食が禁止されていました。
幕末になると、横浜港が開港され、肉食文化が伝わってきます。
1862年(文久2年)に、横浜に最初の「牛鍋屋」が開業されたと記録されています。これは味噌仕立ての鍋料理だったようです。また1867年に江戸でも牛鍋屋が開業されます。しかし肉を食べる習慣がなかったことから、人気はでなかったようです。
明治時代(1868年~)
1871年(明治4年)、政府は健康のために肉食を奨励します。また翌年には、明治天皇が牛肉を食したことが新聞で報じられます。
「文明開化」と共に、関東では牛鍋屋が大流行します。人口比で考えると、現在のコンビニより多い数の牛鍋屋が存在していたと言われています。
一方関西には、牛肉ではなく魚を用いた「魚すき」「沖すき」という料理が存在していました。魚を醤油タレで煮込む、魚の煮付けのような料理だったようです。そして1869年(明治2年)神戸で、牛すき焼き店「月下亭」が開業します。これは鉄板焼きに近い料理だったようです。
大正時代(1912年~)
1923年(大正12年)の関東大震災で、東京から地方に人が移り、そこで関東の牛鍋と、関西のすき焼きが混ざり、今の形となりました。
日本三大料理 ラーメン
ラーメンとは
ラーメンとは、中華麺(小麦粉に「かん水」を使用したもの)と、チャーシューや卵などの具材、スープを組み合わせた日本料理です。中華料理とは別の、日本で独自進化した料理とされています。
「拉麺」「老麺」「支那そば」「南京そば」「中華そば」などとも呼ばれますが、次第に「ラーメン」が一般的となりました。
中国では「拉麺」とは麺の製法のことで、引っ張ったという意味です。他には「切麺」「刀削麺」「捍麺」「湯麺」「涼麺」「炒麺」などがあります。
ラーメンの種類
ラーメンの分類方法は「スープ」によるものが一般的です。その他に「食べ方」「地域」「ブランド」などの分け方があります。
スープによる分類
- 醤油ラーメン
- 味噌ラーメン
- 塩ラーメン
- 豚骨ラーメン
- 鶏白湯ラーメン
- 担々麺
地域による分類
- 札幌ラーメン
- 函館ラーメン
- 喜多方ラーメン
- 八王子ラーメン
- 横浜ラーメン
- 博多ラーメン
具による分類
- チャーシュー麺
- ワンタン麺
- ネギラーメン
- 五目麺
食べ方による分類
- つけ麺
- 油そば
系列による分類
- 家系ラーメン
- 二郎系ラーメン
ラーメンの歴史
室町時代(1336年~)
日本の歴史でラーメン(のようなもの)が最初に確認できるのは、1488年に京都の僧侶が「経帯麺」を食べたという記録です。この麺は「かん水」を使用しており、現在のラーメンにかなり近いものであったと考えられています。
江戸時代(1603年~)
徳川光圀(水戸黄門)が、中国から招いた儒学者・朱舜水の振る舞った、そば料理を食べたと記録されています。
しかし庶民に広まることはなかったと考えられています。
明治時代(1868年~)
1870年(明治3年)に、横浜に日本初の中華料理店が開業されます。また、神戸・長崎・函館などでも中華料理店がオープンしていきます。
1910年(明治43年)に、東京浅草で「来々軒」がオープンし、大ブームとなります。以降、全国に次々とラーメン店がオープンしていきます。また各地で様々なスープや麺が考案され、ご当地料理として発展していきます。
昭和時代(1926年~)
1958年、日清が初のインスタントラーメンである「日清チキンラーメン」を発売します。これ以降「ラーメン」という呼び名が定着していきました。
まとめ 日本三大料理について
日本三大料理とは、特に決まりはありませんが「寿司」「天ぷら」「そば」「すき焼き」「ラーメン」から選ばれることが多いです。
それぞれについて、簡単な概要と、歴史についてご説明しました。物流の発達、明治時代の文明開化、そして関東大震災によって東京が壊滅して地方に人が散ったことが、食文化に大きな影響を与えていることが分かります。
お役に立ちましたら幸いです。